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善光寺(長野県長野市) [北国街道]

 善光寺は古くから多くの人々の信仰を集めた寺院で、その起源は7世紀始め頃とも奈良時代とも言われていますが、はっきりとはわかっていません。宗派についても明確な区分はなく、天台宗と浄土宗の信徒の方々が多く集っているようです。歴史上有名な宗教家もこの善光寺を訪れていますが、例えば13世紀後半に活躍した時宗(じしゅう)の一遍(いっぺん)上人も自らの教義を広めるために、この善光寺信仰の助けを借りました。
 善光寺境内は有名な「川中島の戦い」の陣としても使われたことがありますが、1561年(永禄4年)の対決では、8月14日に上杉軍18,000が到着し、陣を敷いています。しかし、この対決以前の1555年の戦いの際、武田信玄・上杉謙信は善光寺の本尊を始めとする多くの寺宝を略奪しました。本尊は、武田氏の滅亡後、織田信長そして豊臣秀吉を経て1598年に善光寺にもどりました。
 善光寺の本尊は「一光三尊阿弥陀如来像(阿弥陀三尊像)」(秘仏)で、本尊と脇侍(きょうじ。わきじ)が一つの光背を共有している形式です。この形式は善光寺式阿弥陀三尊像と言われて普及しました。
 善光寺の本堂は国宝に、経蔵三門は重要文化財に指定されています。
 なお長野県の県庁所在地である長野(長野市)は、この善光寺の門前町として、また北国街道の宿場町(善光寺宿)として発達した町でもあります。(2006年3月27日撮影)
 古い石畳のところから善光寺の境内です。この石畳の先に仁王門が見えています。この石畳は18世紀始め頃、すなわち本堂が再建された前後に整備されたもので、これも貴重な史跡・文化遺産と言えます。

仁王門。この仁王門の先(北)は堂庭(どうにわ)と言われていますが(写真無し)、善光寺本堂が再建される以前はそこのほぼ中央延命地蔵のあたりに本堂が建っていました。

世尊院。仁王門を過ぎてしばらく参道を歩くと、右手奥に極彩色のお堂が見えます。これが世尊院で釈迦堂とも言われ、銅造の釈迦涅槃像を安置しています。

六地蔵。参道をさらに進み、駒返し橋を過ぎると右手にあります。

大勧進。六地蔵の反対側にあるのが大勧進(天台宗)です。江戸時代に善光寺を管理していた坊です。

三門は2006年3月27日現在修理中でした。三門を抜けるといよいよ善光寺本堂です。

鐘楼
■参考資料
『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年
『長野県の歴史散歩』長野県高等学校歴史研究会、山川出版社、1994年
『地図で訪ねる歴史の舞台 日本 最新版』帝国書院、2000年


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